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2012年4月      (このページは毎月初めに更新、前月のメッセージを掲載しています

 『街道をゆく』を読んでから、大分時間が経ちました。昨年の東北地方の震災でも、又、紀伊地方の災害についても、まさしくその地方の地形や風習が思い出され、人間は古き物を良く知ることが未来へと通じることを実感しております。
まだまだ読みたい本が残っていますが、命が続く限り楽しみにしております。

 約10年ぶりの来館です。
 当時18か19のアホな頃。八戸ノ里を「はっとのり」と読んで駅で恥をかいたあの頃から、自分も少しは成長したつもりでしたが、改めて訪れて、当時よりも自分の未熟さを痛感することになるとは…。もっと成長して、勉強して、一人前の大人になっていこうと思います…。また10年後に来よう。
                                                 
 21才最後の日に初めて来館しました。
ホールの映像で司馬さんが「22才の自分への手紙を書いている」とおっしゃっていておどろきました。私は明日から同じ年になるのだと思ったら、ますます司馬さんの作品を読みたいという気持になりました。
 これからも、自分の道を歩みながらも心の支えにしていきたいです。また来ます。
           
 10年ぶりです。新たな感動もらいました。1冊の本をつくるのに徹底的に調べ上げる仕事ぶりに皆感動時し、それがたとえ死しても残り続ける。72才の生涯であったが、いまも生きている。ボランティアの人達が支え守っておられる。すごい人ですネ。
                                                              
 昨日、会社の歴男5人で鳥羽伏見の戦い跡を見て来ました。今日は、その歴男と共に、司馬遼太郎記念館に来ました。みなさん、ぜひ来たいと言っていました。満足されたようです。
                                                           
 新潟県長岡市出身。現在兵庫県に住んでおります。
司馬先生が『峠』を執筆くださったことで、長岡が大いに有名になりました。誠に失礼乍、大阪府に住まわれていた方とは知らず、今日迄ここに来ることが出来ませんでした。改めて御礼を申し上げます。
 河井継之助は、戦争に反対しながらも、結局は戦わざるを得なくなりましたが、そのことは長岡藩家老の家がとだえるため、養子となった高野五十六、即ち山本五十六も同じでありました。歴史の必然というか、長岡市民が誇る山本五十六の小説も又、先生に書いて頂きたかったと思います。
                                                            
 今日はじめてここにきました。しばりょうたろうはすっごくいっぱい本を持っていてすごいなと思いました。6万さつ以上あると聞いてとてもびっくりしました。わたしもしばりょうたろうみたいにすっごくいっぱい本を持てるようになりたいです。それにわたしもいっぱい本を読むようにします。わたしはとっても感動しました。