栃木・佐野市の植野小学校で菜の花が…
1945年、22歳の司馬遼太郎は、旧陸軍戦車隊の将校として駐屯していた栃木県佐野市の植野小学校で終戦を迎えました。その小学校の校長、川上勝雄先生から、校内で菜の花を育てている、といううれしいお便りと写真が届きました。
校庭には、当時からスズカケの巨木があります。司馬遼太郎が宿舎にしていた旧校舎の2階から大きな葉や紫の花を眺めていました。その縁で3年前、この木の種から育った苗が記念館に届き、庭で2㍍の高さに育っています。
小学校内の菜の花は創立140年記念事業のひとつとして、スズカケの下や花壇にたくさん植えてくださいました。佐野市と記念館のある東大阪市と、遠く離れた土地で司馬遼太郎の菜の花が咲く日を楽しみに待ちたいものです。