司馬遼太郎記念館

対話ノート

開館カレンダー

休館日

開館時間:10:00~17:00
(入館受付は16:30まで)

休館日:毎週月曜(祝日の場合は開館し翌日休館)、9/1~9/10、12/28~1/4

TEL:06-6726-3860

FAX:06-6726-3856

入館料:大人800円、高・中学生400円、小学生300円(20名以上の団体は入館料が2割引)

大書架に置かれているノートに書かれたメッセージの一部をご紹介します
(このページは毎月初めに更新、前月のメッセージを掲載しています)

2025年9月

今日は近くの大学の院入試があったので司馬遼太郎記念館に来ました。
司馬先生と安藤忠雄さんはどちらも私の好きな作家であり建築家です。
この記念館は、異なる分野で才能を発揮した二人の力が融合した場所です。以前読んだ「形のないものがあるとすれば、それは書店の姿だろう」という言葉を思い出しました。(翻訳アプリ使用/原文中国語)
河内小阪の駅から案内に沿って伺いました。
商店街を通ってわからないときに住民の方がやさしくおしえて下さいました。皆様に親しまれていると思いました。
司馬遼太郎の歴史にふれ感激です。自然と人間(自己)への真摯な対峙にふれました。
たまたま大阪に立ち寄り時間が出来たので、一人で大阪を楽しめる場所はないかと探していたら、こちらを見つけました。私は司馬先生の大ファンではありません。拝読した著作も「坂の上の雲」、「草原の記」の二つだけです。ただ、大きな影響を受けたのは確かであります。「坂の上の雲」を読まなければ、前職・現職には就いていなかったでしょう。中国で勤務することもなかったでしょう。
大連に訪問し、二〇三高地、旅順港を訪れた際には「坂の上の雲」の一文一文が頭の中に浮かび上がってきました。その後、偶然モンゴルに出張に行った際には帰りの飛行機で「草原の記」を拝読いたしました。出張中、偶然ツヴェクマさんの娘さんをお見かけする機会があったことは一生の思い出です。

こう書いてみると人生とはなんと偶然の連続かと思わざるを得ません。
またこちらに訪れたいと思います。素晴らしい作品をありがとうございます。
記念館に入ってすぐ背の高い書棚とその先の天窓から差し込む光を見た時、「あぁ、安藤忠雄は司馬遼太郎のことが好きだったのだな」という感覚が込み上げて来て、泣きそうになりました。
司馬遼太郎は、日本人とは何か、という問いに向き合いながら、愛情を持って人間を描いてきました。人間の持つどうしようもなさやみじめさも含めて混濁を呑んで描いてきました。
私も未熟ながら、愛を持って相手を見つめ、その人の魅力を表現できる人間になりたいと思いました。
本館を支えて下さるボランティアの方々、皆様に感謝申し上げます。
万博と当館への訪問を楽しみに長崎より参りました。“21世紀に生きる君たちへ”、改めて感じ入りました。自らを律していきたいと思います。
司馬先生がどのような21世紀を想像していたのか。24年が過ぎ、化学は発達したが国としての未来がすぼんで小さくなってきているようにしか見えない時代になったように思う。
先生が言われていたように、自分にできることは小さなことでも今の子供たちに説明し、対話していくことでしかないように思う。残りの人生、少しでもそう行動したいと思う。
司馬先生のことを初めて知ったのは、大河ドラマ「功名が辻」のときでした。
小学校3年生くらいのときだったと記憶しています。原作者としてエンドロールに名を連ねており、すぐに田舎の本屋の文庫コーナーで買い求めました。文庫の後ろには、ここ、司馬遼太郎記念館の案内もついていましたが、関東に住んでいたため来るのに20年余りかかってしまいました。その間にもポツポツと先生のエッセイや紀行文などを読み、「坂の上の雲」も何度もNHKで見ました。第1話だけで7、8回は見ました。

先生の本の中で一番記憶に残っているのは、「八人との対話」での宮崎駿監督との対談です。まだ「もののけ姫」の制作?構想段階での対談であり、タイトルも今と間違っておりました。お二人の知識力とその創作への原動力について、ただただ感嘆したのを覚えています。
巷では「司馬史観」と言われ、歴史に対して間違った認識を植えつける批判的な意見が多く見られるのはとても残念ですが、創作は創作として楽しみ、その人や歴史の背景について考察する際のヒントとして司馬先生の著作を生かして、読み継がれていって欲しいと深く心の底から願ってやみません。
 最後に、私は司馬先生の様によく読み、よく集め、よく歩いて、それらを糧にして生きていきたいです。本日はありがとうございました。
大学生の頃に来館して以来、8年ぶりに帰ってきました。
初めてここに来館した日から安藤建築のとりこになり、今でも心の中に居続けています。
司馬遼太郎先生が描いた21世紀と今はどれくらい離れているでしょうか。
未来や希望という言葉が似合わない2025年の日本ですが、私はそんな世の中を生きる一人の若者として「自己」を追い求め、与えられた時間を大切にします。
東大阪市民です。小学校卒業時に「21世紀に生きる君たちへ」をいただきましたが、当時は難しく読み切ることができませんでした。
今日は、学芸員の勉強をしているため訪れました。想像以上の本の数で、帰ってもう一度この方が書いた本を読んでみたい!と思いました。
皆様のつづる文章にも心があたたまりました。もっと早く来てみれば良かった!
こんにちは。「燃えよ剣」が大好きな大学生です。はじめて手に取った時、私はまだ中学生でした。ただ歴史に興味があったため、なんとなく手にした本。今もそうだけど、当時の私には、何を書いてあるのか、むずかしかったです。でもだからこそ、何回も調べながら読みなおしたりしていたら、一番大好きな本、そして作家さんになりました。
ここに来て、たくさんの人の思いを見ることができて、とってもうれしいです。
中には海外から来た方や、小さな子どもまで…。いろんな人に愛されていると知り、胸があたたかいです。パパ、いっしょに来てくれてありがとう。