大書架に置かれているノートに書かれたメッセージの一部をご紹介します
(このページは毎月初めに更新、前月のメッセージを掲載しています)
2025年9月
司馬先生と安藤忠雄さんはどちらも私の好きな作家であり建築家です。
この記念館は、異なる分野で才能を発揮した二人の力が融合した場所です。以前読んだ「形のないものがあるとすれば、それは書店の姿だろう」という言葉を思い出しました。(翻訳アプリ使用/原文中国語)
商店街を通ってわからないときに住民の方がやさしくおしえて下さいました。皆様に親しまれていると思いました。
司馬遼太郎の歴史にふれ感激です。自然と人間(自己)への真摯な対峙にふれました。
大連に訪問し、二〇三高地、旅順港を訪れた際には「坂の上の雲」の一文一文が頭の中に浮かび上がってきました。その後、偶然モンゴルに出張に行った際には帰りの飛行機で「草原の記」を拝読いたしました。出張中、偶然ツヴェクマさんの娘さんをお見かけする機会があったことは一生の思い出です。
こう書いてみると人生とはなんと偶然の連続かと思わざるを得ません。
またこちらに訪れたいと思います。素晴らしい作品をありがとうございます。
司馬遼太郎は、日本人とは何か、という問いに向き合いながら、愛情を持って人間を描いてきました。人間の持つどうしようもなさやみじめさも含めて混濁を呑んで描いてきました。
私も未熟ながら、愛を持って相手を見つめ、その人の魅力を表現できる人間になりたいと思いました。
本館を支えて下さるボランティアの方々、皆様に感謝申し上げます。
先生が言われていたように、自分にできることは小さなことでも今の子供たちに説明し、対話していくことでしかないように思う。残りの人生、少しでもそう行動したいと思う。
小学校3年生くらいのときだったと記憶しています。原作者としてエンドロールに名を連ねており、すぐに田舎の本屋の文庫コーナーで買い求めました。文庫の後ろには、ここ、司馬遼太郎記念館の案内もついていましたが、関東に住んでいたため来るのに20年余りかかってしまいました。その間にもポツポツと先生のエッセイや紀行文などを読み、「坂の上の雲」も何度もNHKで見ました。第1話だけで7、8回は見ました。
先生の本の中で一番記憶に残っているのは、「八人との対話」での宮崎駿監督との対談です。まだ「もののけ姫」の制作?構想段階での対談であり、タイトルも今と間違っておりました。お二人の知識力とその創作への原動力について、ただただ感嘆したのを覚えています。
巷では「司馬史観」と言われ、歴史に対して間違った認識を植えつける批判的な意見が多く見られるのはとても残念ですが、創作は創作として楽しみ、その人や歴史の背景について考察する際のヒントとして司馬先生の著作を生かして、読み継がれていって欲しいと深く心の底から願ってやみません。
最後に、私は司馬先生の様によく読み、よく集め、よく歩いて、それらを糧にして生きていきたいです。本日はありがとうございました。
初めてここに来館した日から安藤建築のとりこになり、今でも心の中に居続けています。
司馬遼太郎先生が描いた21世紀と今はどれくらい離れているでしょうか。
未来や希望という言葉が似合わない2025年の日本ですが、私はそんな世の中を生きる一人の若者として「自己」を追い求め、与えられた時間を大切にします。
今日は、学芸員の勉強をしているため訪れました。想像以上の本の数で、帰ってもう一度この方が書いた本を読んでみたい!と思いました。
皆様のつづる文章にも心があたたまりました。もっと早く来てみれば良かった!
ここに来て、たくさんの人の思いを見ることができて、とってもうれしいです。
中には海外から来た方や、小さな子どもまで…。いろんな人に愛されていると知り、胸があたたかいです。パパ、いっしょに来てくれてありがとう。